東京オリンピック・パラリンピック前会長の森喜朗氏は「女性がたくさん入っている会議は時間がかかる」と発言し女性蔑視であるとしてマスコミにたたかれ会長を辞任しました。
そんな失言が多い森喜朗氏はどんな人生を歩んできたのか調べてみました。
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森喜朗は高校ラグビー部時代に「あんなちっちゃい子使えるか?」と言われていた
森喜朗氏はラグビーでも有名ですよね。
森喜朗氏が小学5年生の時、早稲田大学のラグビー部の練習試合を見てラグビーに興味を持ち、早稲田大学に入りラグビーをやろうと決意しました。
学区が違うラグビー強豪の石川県立金沢二水高等学校には進学するために、中学生の時に越境入学したそうです。
行動力がありますよね。
森喜朗氏は高校では当然ラグビー部に入部しましたが、体が小さかったようです。
確かにがっしりという感じではありません。
先輩が 「あんなちっちゃい子、使えるか!??」、「でも、あいつは森さん(お父さん)のお子さんだから、そんな事言うなよ!!」、「まぁ、とりあえず入れてやるか・・・」 と、そんな会話が部室のドア越しに聞こえてきたんです。
引用:YELL
このように森喜朗氏は語っています。
この会話を聞いてへこむのかと思いきや逆に闘争心に火が付き、キャプテンを務めるまでになりました。
高校でのラグビー経験は様々な場面で活きているようで、
この私の曲がった小指は、私が高校で初めてレギュラーとして出させてもらった試合で怪我をしてしまったものなんです。だからこの小指を見ると今でもその当時の、初レギュラーになれて嬉しかった事と、頑張ったことを思い出すんですよ。
引用:YELL
練習は非常に厳しかったようで、何かあった時はそれを乗り越えた証としての曲がった小指を見て頑張っていたのかもしれませんね。
森喜朗氏は早稲田大学ラグビーを退部。吐血で通院!
森喜朗氏は早稲田大学第二商学部にラグビー推薦で入学しましたが、レベルの違いに圧倒されたことや練習が過酷だったこと、文化の違いなどからメンタルがやられ、体も悲鳴を上げ1年生の時に吐血したため通院することになってしまいました。
胃潰瘍と診断されたそうです。
森喜朗氏は他の選手のレベルの高さに自分の限界を感じたようで退部、退学することを決意しました。
退部、退学する旨を当時の監督である大西鐵之祐氏に告げると
何が早稲田だ、何がラグビーだ。そんなことでお前の人生が全て決まるわけじゃないんだ。ラグビーを見返してやろうじゃないか」と。要は「ラグビーに恩返ししなさい」ということを大西先生はおっしゃってくれたんです。
引用:笹川スポーツ財団
とても励まされる言葉ですね。
この言葉に深い感銘を受け、先輩の誘いもあって雄弁会に入部し政治家を目指すきっかけになりました。
森喜朗氏は政治家を目指し産経新聞入社も採用試験は白紙提出!
森喜朗氏はある政治家から水野成夫氏(当時産経新聞社長)を紹介してもらい産経新聞への入社の約束をしました。
しかし、一向に先方から連絡がありません。
おかしいと思い産経新聞に問い合わせたところ、その年の新卒採用の予定はないとの返答でした。
そこで森喜朗氏は話が違うため納得がいかないと産経新聞とやり取りをしていたら採用試験の提案をされました。
森喜朗氏は勉強ができないことを自覚していたため、この採用試験で合格することが出来ないことが分かっており、自分を落とすための口実だと考え白紙提出をしました。
「わかりました。私は答案を白紙で出します。答えがわかっても書きません」、そして、森総理は、予告どおり、答案用紙に名前だけで、白紙で出した。答えのかわりに、天下の水野氏は前途有望な学生をつぶすようなことがあってはならないというようなことを書かれた。
引用:保坂展人(世田谷区長)のどこどこ日記(衆議院予算委員会2000年4月25日)
結果は先方の根負けか産経新聞に入社することが決まりました。
これは良いように捉えれば、言われた通りにあっさり引き下がるのではなく、どうしてもこの仕事がしたいと訴えかけて行動すれば未来を勝ち取ることができるということですし、悪く捉えれば、正規のルートを通らずともゴネた者勝ちということです。
これは見解が分かれるところですが、2000年4月25日の衆議院予算委員会では森喜朗氏は「コネ入社」「恫喝入社」として追及のネタにされています。
産経新聞に入社した森喜朗氏は政治部を希望しました。
しかし採用に際してゴタゴタがあったからなのか、当時の森喜朗氏の能力が足りないと判断されたのかは分かりませんが、政治部には配属されませんでした。
結局森喜朗氏は産経新聞を退社することにしました。
田中角栄氏から泡沫候補扱いの森喜朗。奇跡のトップ初当選!
森喜朗氏は1969年の第32回衆議院議員総選挙に旧石川1区から立候補しました。
田中角栄自民党幹事長は森を「泡沫候補」と呼んで公認を与えなかったので、保守系無所属での出馬となり森喜朗氏はかなり不利な状況下に置かれていました。
しかし、ある出来事で風向きが一気に変わりました。
選挙直前の一族会議中に、近隣の家から出火した。この時、森は決死の覚悟で家にとびこみ、仏壇を抱えて出て来たという。当時の北陸地方は仏教への信仰が篤い土地柄であったこともあり、この行動は風向きを変えることになった。
引用:Wikipedia
この行動が状況を大きく変え、さらにはつてのあった元首相の岸信介元氏の応援が後押しして森喜朗氏はかなり不利な状況から一転してトップ当選を果たしました。。
森喜朗氏は無名である自分の応援要請に応えてくれた岸信介氏に対し、終生恩義を忘れない姿勢を示していたようです。
森喜朗は内閣総理大臣に就任もがんのため1年で辞任するつもりだった
森喜朗氏が総理大臣に就任するまでの公職の経歴は下記のとおりです。
1977年 内閣官房副長官
1983年 文部大臣
1992年 通商産業大臣
1995年 建設大臣
そして1998年7月に総理大臣に就任した小渕恵三氏のもとで自民党幹事長に就任しました。
2000年4月に小渕恵三氏は脳梗塞で倒れ緊急入院することになり、後任として森喜朗氏が2000年4月5日に第85代内閣総理大臣に就任しました。
しかし、森喜朗氏は総理大臣就任以前より前立腺がん疑いがあると指摘されており、2000年4月7日に生検を受けた結果、
「生検では6カ所から組織を採取したんですが、4カ所からがん細胞が見つかったそうで、主治医のK先生から『間違いなくがんです』と言われました。
引用:がんサポート
がんと宣告されたようです。
森喜朗氏はショックということはなかったようですが、前総理が脳梗塞により辞任したばかりで、自分もがんで入院というような状態は許されないことと感じていたようです。
「就任早々にがんが見つかったので、総理の座に長くとどまる気はありませんでした。私が(総理大臣を)1年ちょっとやると参議院の選挙だったんですよ。戦術として、その直前に辞めて後任にボールを渡すのがいいと思っていました。政治もラグビーと同じで自分でトライしなくてもいいんです。ボールをつないで誰かがトライすれば、それでいいので、何とかそこまで引っ張っていこうという気持ちでした」
引用:がんサポート
このように自分の政権は短命だと考えていました。
失言連発で世間を騒がせた森喜朗氏でしたが、辞任は初めから1年後と決めていたようで、失言が原因で総理大臣を辞任したわけではなく、前立腺がんの治療が本当の理由だったようです。
森喜朗氏の失言は酷いものもありましたが、マスコミに面白おかしく流されたこともあり、何であんな人が総理大臣をしてるんだと思う方も多いでしょう。
政調会長の亀井静香は「森みたいなのが総理になれたんだという人がいるが、森が総理までになれたのはズバリ他人への配慮だ。人に対する配慮するのが、物凄く上手かった。」
引用:Wikipedia
森喜朗氏は周囲の関係者からは高く評価されていたようで、悪く言う人はあまりいないみたいです。
ただ失言に関しては公の場での発言には配慮すべきでしょうね。
東京オリンピック・パラリンピック前会長の森喜朗の失言は功績を打ち消すほど?
森喜朗氏は総理辞任後は大臣職には就いておらず、日本ラグビーフットボール協会会長(2005~2015年)、東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会会長(2014~2021年)のようなスポーツを中心とした役職に就いています。
なぜ失言連発の人物を重要ポストに置いているか疑問に思う方もいるでしょう。
森会長は、これまで16年オリンピック・パラリンピック招致や19年ラグビーワールドカップなどの交渉事を通して、IOC重鎮やスポーツ界のインフルエンサーと信頼関係を築いてきた。19年大会では、世界からの要人たちがセレモニーで常に「Mr.Mori」への感謝を口にされていたのをよく覚えている。
引用:President Online
この部分は恐らくマスコミが取り上げない部分でしょう。
東京オリンピック・パラリンピックにしても森喜朗氏だからこそできたことも多くあるようです。
今回の「女性がたくさん入っている会議は時間がかかる」という発言はそれを打ち消すほどだったのかという疑問があります。
NHKの和久田麻由子アナウンサーは「この問題、森会長の辞任で終わりというわけでは無いですよね。」と言っています。
和久田麻由子さんの発言はネットで炎上しており、偉そうであるとか、芝居がかっていると批判されています。
アナウンサーとして事実のみを伝えればいいのに、「辞任で終わりというわけでは無い」とそれ以上何かを追及するようなことを言う必要はないからでしょう。
その一方で女子サッカー日本代表の岩渕真奈さんはこう語っています。
岩渕は、森氏の発言が「良くはない発言だったと思う」と前置きした上で、「あれだけを取り上げる日本のメディアを、自分はあまり好きになれない。森さんだからこそやれたこともあったと思うし、それを世の中の人がどれだけ知った中でこういう感じになっているのか、個人的に疑問を抱く」
引用:JIJI.COM
岩渕真奈さんが言うことは確かにその通りで共感できます。
森喜朗氏の失言は良くないことは確かですし擁護するつもりもありません。
しかしマスコミはあの発言だけ取り上げて森喜朗氏を辞任に追い込もうと報道していたように見えます。
森喜朗氏は多くの功績を残しているのですが、騒動の中では取り上げてもらえないまま会長を辞任することになりました。
森喜朗の生い立ちのまとめ
森喜朗氏は失言連発して空気も読めない人物のようなイメージが付いています。
実際には失言こそ多いものの森喜朗氏は人への配慮がよくでき、16年オリンピック・パラリンピック招致や19年ラグビーワールドカップのような大きなイベントの交渉事でもインフルエンサーと信頼を築いてきたように能力も高いようですね。
高齢ですので今後表舞台に出て来るかは分かりませんが、その際は失言だけは注意してもらいたいですね。
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森喜朗の嫁・千恵子夫人の性格は?失言で辞任の元総理に言いたい放題!
第86代内閣総理大臣の森喜朗氏。 東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会会長という立場でご活躍をされていましたが、女性蔑視ともとれる発言で話題になり先日、辞任を表明しました。 今回は、その ...
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