2020年は1,2軍両方とも公式戦の登板がなく、投げない令和の怪物になってしまった佐々木朗希選手ですが、2021年3月12日に本拠地のZOZOマリンスタジアムで行われる中日とのオープン戦に1イニングだけ投げる予定です。
様子を見ながらと言うことですが、今後本格始動してくるでしょうからこれは楽しみですね。
そんな令和の怪物と言われた佐々木朗希選手の高校時代を調べてみました。
この記事でわかること
- ロッテ 佐々木朗希が公立の大船渡高校へ入学した理由
- ロッテ 佐々木朗希の高校1、2年生の時の様子
- ロッテ 佐々木朗希の高校3年生時と夏の大会決勝までの結果
- 佐々木朗希を登板させなかったことに対しての意見
タップできる目次
中学3年生の時に腰を疲労骨折するも球速は141km/hをマーク!
佐々木朗希選手は岩手県陸前高田市出身です。
野球を始めたのは小学校3年生の時で、地元チーム「高田スポーツ少年団」に入ったのが始まりです。
その後、東日本大震災の被害に遭い大船渡市へ引っ越しました。
大船渡市立第一中学校野球部(軟式)に入部し2年生の時にエースになりましたが、3年生の時に腰の疲労骨折により大会に出場できませんでした。
軟式野球部を引退した中学3年生がその秋に、高校から扱う硬式球の準備のため地域で結成する代表チームの「オール気仙」では岩手大会で優勝、東北大会で準優勝し、全国大会に出場しています。その大会中に当時の自己最速の141km/hをマークしています。
大船渡高校を選んだのは地元の学校で甲子園を目指したいとの思いから!
多くの勧誘があった中、佐々木朗希選手は大船渡高校を選びましたが、大船渡高校は普通の公立高校です。
そんな学校を超大物が選んだ理由は何だったんでしょうか?
自宅を流された佐々木朗希選手の一家は大船渡市に移住。そこで入団したのが、陸前高田や大船渡など被災地の野球少年で構成される『オール気仙』というチームです。選手たちは『地元の高校に進学し野球で被災地を盛り上げよう』と約束しました。
引用:FRYDAY DIGITAL
「地元の学校で甲子園を目指したい」との思いから岩手県立大船渡高等学校に進学することになったようです。
佐々木朗希選手は中学時代に県内外の強豪校から既に注目されており、大阪桐蔭等からもオファーがあり、県内の強豪校である花巻東高校は、大谷翔平が使っていた寮の部屋を用意すると勧誘してきたそうです。
よっぽど佐々木朗希選手が欲しかったのでしょうね。
しかしそれら全てを断り、大船渡高校を選びました。
佐々木朗希選手は
大船渡高へ進学当初は、『復興のために将来は市役所で働く』と話していたそうです」
引用:FRYDAY DIGITAL
復興のために働きたいという想いも強く持っていたようです。
高校1年生、2年生の時は成長痛や怪我により無理が出来なかった
佐々木朗希選手はそんな強い思いを持って大船渡高校に入学しましたが、高校1、2年生の時の大船渡高校の成績はどうだったのでしょうか?
- 1年生の時の全国高校野球選手権岩手大会は、3回戦で花巻南高校に2-3で敗北(優勝:盛岡大附)
- 2年生の時の全国高校野球選手権岩手大会は、3回戦で西和賀高校に2-3で敗北(優勝:花巻東)
1、2年生の時はいずれも県大会3回戦で敗退していますが、佐々木朗希選手は敗退した試合では登板していません。
登板しなかった理由は、
中学時代からの成長痛などの影響で、無理ができなかった。國保監督は佐々木朗希選手の体調を確認しながら、大事に育成した。勝利よりも将来を優先。その方針は2年秋も変わらなかった。
週刊ベースボールONLINE
監督は佐々木朗希選手の将来の方を大事に考えて無理をさせなかったためです。
1年生の時は立っているだけでも腰が痛かったというほどだっだそうで、まともに野球ができる状況にありませんね。
2年生の時の秋季大会でも、勝てば甲子園出場に大きく近づく準決勝の盛岡大付高戦で登板したものの5-7で敗れています。
試合後、佐々木朗希選手は号泣しています。
甲子園に行けない悔しさが爆発したのでしょうね。
高校3年生で最速の163km/hをマーク!しかし夏の決勝では球数を理由に登板せず敗退
佐々木朗希選手は高校日本代表候補による研修合宿の紅白戦で163km/hをマークしています。
これは大谷翔平選手が花巻東高等学校の時に記録した160km/hよりも3km/h速い球速です。
かなりすごいことですが、
163キロをマークした今春でさえ、その時点で「球速に耐えうる骨や筋肉、靭帯、関節ではない」と語っていたのは大船渡の國保陽平監督だ。
引用:web Sportive
監督は故障を懸念していたようです。
大船渡高校の全国高校野球選手権岩手大会の結果は以下の通りです。
7月16日
2回戦 大船渡 14-0 遠野緑峰
5回コールド勝ちで、佐々木朗希選手は先発で2回19球を投げて0点に抑えています。
7月18日
3回戦 大船渡 10-0 一戸
6回コールド勝ちで、佐々木朗希選手は先発して6回93球を投げて0点に抑えています。
打たれたヒットは0で与えた四死球は1、奪った三振は13でした。
この日球速は最高155km/hをマークしています。
7月21日
4回戦 大船渡 4-2 盛岡四
延長12回表同点の場面で、佐々木朗希選手のライトへの2ランホームランが決勝点となりました。
佐々木朗希選手は先発し、延長12回まで投げ投球数は194球で2失点で、打たれたヒットは7、与えた四死球は3、奪った三振は21でした。
この日の球速はなんと160km/hをマークしてます。
7月22日
準々決勝 大船渡 6-4 久慈
延長11回に2点を入れ勝ち切りましたが、佐々木朗希選手は登板も、野手としても出場せず3塁ベンチから声を張り上げ応援していました。
久慈高校に勝った時の佐々木朗希選手です。喜び過ぎてメチャクチャ飛んでますね。
7月24日
準決勝 大船渡 5-0 一関工
佐々木朗希選手は先発し、9回129球で完封勝利し、打たれたヒットは2つ、与えた四死球は3、奪った三振は15でした。
球速は最高157km/hをマークしています。
大船渡高校は勝利しましたが、投球前から右肘の違和感を訴えていたそうです。
中2日で計323球で投げ過ぎのような気がします。
佐々木朗希選手は次の日の決勝について、「勝ちにつながるピッチングをしたい」と言っていたそうです。
7月25日
決勝 花巻東 12-2 大船渡
決勝当日佐々木朗希選手は登板させないことを監督に伝えられ、ベンチで応援することになりました。
大船渡高校は6回までに9失点と大量失点してしまい、その後も3点奪われ甲子園への夢は潰えました。
佐々木朗希選手は4試合に登板、合計29回を投げ総投球数は435球、2失点で、打たれたヒットは9、与えた四死球は7、奪った三振は51でした。
結局、高校の3年間で甲子園に出場することは叶いませんでした。
結果論ですが、勧誘に来た花巻東高校を選んでいれば甲子園に出場できたかもしれません。
県大会決勝で登板できなかったことについて佐々木朗希選手は
「監督の判断だからしょうがないです。この仲間だから乗り越えられたこともある。大船渡高校を選んでよかったです」
Number Web
このように言っており大船渡高校を選んだことには悔いはないそうです。
夏の決勝で佐々木朗希選手を登板させなかったことを張本勲氏が痛烈に批判も大炎上!
決勝の花巻東戦では佐々木朗希選手は登板も出場もしませんでした。
佐々木朗希選手を登板させなかったことについては監督はこう語っています。
「故障を防ぐためです。連投で、暑いこともあって。投げたら壊れる、投げても壊れないというのは未来なので知ることはできないんですけど、勝てば甲子園という素晴らしい舞台が待っているのはわかっていたんですけど、決勝という重圧のかかる場面で、3年間の中で一番壊れる可能性が高いのかなと思いました。投げなさいと言ったら投げたと思うのですが、私には決断できませんでした」
引用:Number Web
登板させないことを伝えられた佐々木朗希選手は笑顔で「はい、分かりました」と答えたそうです。
これも監督が自分の体のことを思ってくれていることが佐々木朗希選手自身はよく分かっていたのでしょう。
高校野球で無理をしたために肘や肩を故障して将来が台無しになった選手もいますので、将来性のある佐々木朗希選手にそんな思いをさせたくなかったのだと思います。
その一方で大船渡高校を応援している方や佐々木朗希選手に期待をしていた方にとっては絶対的エースを出さずに負けたのは後味が悪いですよね。
BS朝日が岩手大会決勝緊急生中継を決定・リプレイ設備がない岩手朝日テレビの決勝中継に50社ほどの協賛スポンサーがつくなど前例のない盛り上がりとなった。
引用:Wikipedia
かなり佐々木朗希選手に期待していたのが分かります。
県大会決勝で登板しなかったことで大船渡高校には苦情の電話が殺到したそうです。
これはメディアでも取り上げられて物議を醸しました。。
その中でも張本勲氏は
「ケガが怖かったら、スポーツはやめたほうがいい。」
「監督と佐々木朗希選手投手だけのチームじゃない」「ナインはどう思うのか」と批判した。
引用:東洋経済ONLINE
と発言して、投球数にこだわったことに関して痛烈に批判し、投げるべきだと主張しました。
この発言は大炎上しました。
TBS「サンモニ」で張本勲氏が佐々木朗希君の登板回避を「一番残念」「投げさせるべき」とコメント。これにダルビッシュが「このコーナー消して下さい」とツイートしたら、なんと12万件のいいねが殺到したそうだ。確かに根性論でなく「いかに投手を守るか」を語るべきだろう。https://t.co/JrjO6Cu9Qh
— 門田隆将 (@KadotaRyusho) July 29, 2019
張本勲、大船渡・佐々木朗希の起用法問題に「絶対に投げさすべき。ケガを怖がったらスポーツ辞めた方がいい」(スポーツ報知) - Yahoo!ニュース
— 中岡慎ちゃん三代目 (@rz_gvd) July 28, 2019
監督はアメリカまで行って、佐々木選手の精密検査をしていた事を、アホの張本は知らない https://t.co/eMhaOAm8Ze
言いたいことは分からなくもありませんが、無理をさせてでも投げさせて、その結果故障し夢を諦めなければならない状況になっても仕方ないと言ってるようなものですよね。
応援している側は佐々木朗希選手さえ登板していれば勝てたかもしれないという気持ちはよく分かりますが、監督の苦渋の決断だったのだと思います。
佐々木朗希選手の高校時代まとめ
佐々木朗希選手は数多くの強豪校からの勧誘を断り、地元で甲子園を目指したいとの思いから大船渡高校に入学しました。
球速は150km/hを超え、最速では163km/hをマークするとんでもない投手になりました。
しかしその一方で1、2年生の時は怪我や成長痛に悩まされ、3年生になっても球速に耐えうる体になっていないことで球数の制限をしなければなりませんでした。
令和の怪物と呼ばれた佐々木朗希選手ですが、甲子園には1度も出場できないまま高校生活を終えました。
この無念をプロ野球で活躍して晴らしてもらいたいですね。